■ 錦帯橋と岩国城へ歴訪 ■
秋芳洞展望台を8時過ぎに出発し、錦帯橋までは約115qの距離。 このうち100qが中国、山陽道経由だが約1時間半の時間を見積もった。 遅くても10時までには到着したい。

…と云いながら中国道のこの地域は初めての走行。  ここから岩国までは一度も走ったことのない高速道だから慎重な運転に…。  そして岩国ICから一般道を走り錦川の畔に到着。  旅の後半でも快晴の天候が続き有難い事だ!


錦帯橋を確認して駐車場を探し河川敷の広い駐車場に乗り入れる。 ここには観光バスや一般車が駐車していて係員から指示され白線内に止めた。 錦帯橋は私も妻も一度は観光してみたいと話していた所です。

駐車場から土手沿いに撮影しながら歩いて錦帯橋入口に到着した。 錦帯橋は日本三名橋と云われ名勝に指定されている。 また錦帯橋は岩国市内を流れる錦川に川幅約200mに四つの橋脚で架かる五連の木造橋で真ん中に三連のアーチ橋、その両側に桁橋構造の反橋になっている。

この位置から岩国城が後景に映りこむ!




錦帯橋入口には係員がいて入口が駅の改札口の様になっていた。 いきなり橋を渡らず土手沿いに反対側に少し歩いて撮影を重ねる。 陽光の位置で錦帯橋の映像が変化してくる。 ここから見える錦川は河川敷が広く、この季節では川幅が狭いかな? 河川敷には車両が駐車して河川で釣りを楽しんでいる人が多かった。






錦帯橋は1673年(延宝元年)岩国藩主吉川広嘉公によって建築された。 基礎部の鍬入れから石で積み上げた橋脚を川の堤防に二か所、中間に四か所の六ケ所を築き、その上から片持ちの梁を迫り出した木造の五連橋を架けたと、 記録されている。 錦帯橋の橋前まで戻り記念撮影しようと三脚を立てていると、係員が撮影しましょうと笑顔で声掛けしてくれた。 有難う! そして何枚か撮影してもらい通用口で料金を支払う。 楽しんできてくださいと、声掛けしてくれ笑顔で見送ってくれた。

渡河料金は片道でも、往復でも同じ料金の300円で、この資金で錦帯橋の維持管理費を賄うと云う。 しかしロープウェイ料金と岩国城の入場料金のセットで購入して一人940円です。

錦帯橋のお気に入り写真

観光客がいないと思ったら…
タイミングをずらして…

…見えてきた!

橋の真ん中付近で錦川の景観を撮影! 青空で雲一つない快晴で色彩感が増す映像が撮れる。 上流には釣り人が秋を満喫して、下流側は広い駐車場と逆光の景色が映える。 錦帯橋付近で堰止めがあるから、上流と下流では川幅が異なり、上流側に釣り人が多い理由が判る。

錦川上流

錦帯橋付近で堰止めが…
錦川下流には駐車場が見える

この付近まで来ると岩国城が次第に大きく見えてくる。 望遠で撮影したが、錦帯橋と岩国城のセット映像は帰りでも撮りたい。 岩国城が築城され、対岸の城下町を結ぶ橋は度重なる錦川の洪水で何度も流失した歴史がある。 五連のアーチで構成される橋の主要構造部は継手仕口という組木の技術で組まれ、釘一本も使わず造られている。 石積みの橋脚で世界的に珍しい木造アーチ橋です。 1950年(昭和25年)にも台風ですべて流失し、現在の橋は1953年(昭和28年)に復元された。


橋を渡ると道路の向う側に広場が見える。 園路が奥に向かって続いている。 高い建物が無く右手には土塀と屋敷が続くが比較的新しい建物です。 園路の芝生中央に岩国藩主吉川広嘉公の像が建立されている。 この付近は吉香公園と呼ばれ旧岩国藩吉川家の居館跡だった場所です。 その他にも目加田家住居、錦雲閣、吉香神社など藩時代の建物が点在しています。





岩国藩主吉川広嘉公の像

さらに先に進むと、香川家長屋門があり、観光客が説明を受けていた。 建物は比較的新しく、横で聞き耳を立てると、岩国藩家老の香川家の表門と云う。 香川氏は安芸八木城主で吉川広家が岩国に移封された時、家老だった。 手前の公園通りに、ここだけモミジが何本か植樹されているから、一緒に撮影すると建物が一層映える! 長屋門に沿って土塀が続き長屋門の美しさが倍増する。 たかが土塀だが屋敷の景観の構成には欠かせない存在です。

香川家屋敷 香川家長屋門



長屋門正面




1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は領地を大幅に減らされ広島城から萩城に移封。 そして一族の吉川広家も同時に米子城から岩国に移封になり三万石に減らされた。

吉香公園は昔、御土居で江戸時代初期は岩国領の居城だった。 岩国市の山側から流れる錦川は安芸灘に流れるがその手前に横山があり、山麓を迂回する様に曲折している。 その横山に錦川を天然の濠として利用して横山城が築城された。 そして横山城の麓に御土居と云われた所に居館が集まっていた。 岩国城はその横山城を元にして築城され、麓の御土居は藩の武士屋敷や城下があった。 山城の本丸を中心に二の丸、北の丸等が、そして水の手などの曲輪が配置されていた。

吉香公園の景観







吉香公園の旧目加田家住宅の前に到着。 目加田家の屋敷は江戸時代中期に建てられた中流の武家屋敷です。 案内によると、岩国の屋敷は錦川の氾濫に備えて二階建ての建物が多かったという。 表通りから見ると屋敷は大きい屋根で、一見して平屋に見える。 中流武家として藩主を見下ろす事が無いよう配慮したと云われる。 それでも裏側から見ると二階建てに造られ、藩主に対する心構えが屋敷にも表れている。 豪華さは無いが250年前の武家屋敷の形が伝わる。 1974年(昭和49年)に国重要文化財に指定されている。

表通りの屋敷の景観

追加で…。 訪問した時、気が付かなかった事。 武家屋敷の屋根瓦が岩国城下町の特徴です。 案内で気が付いたが、屋根瓦が両袖瓦と呼ばれ、平瓦を使用した二平葺き(にひらぶき)で岩国の瓦師が考案したそうです。 表通りからは平屋に見えたり、瓦は両袖瓦で建てられた屋敷は長い間、日本の歴史を観光してきた私には新鮮な思いだった。





裏手から屋敷の景観

旧目加田家屋敷の反対側に横山へのロープウェー乗り場がある。 ここから横山への頂上へ向かう。 他にも歴史的観光場所があるが、今回は岩国城と錦帯橋に絞って観光します。 もしそれ以上の価値ある場所を見つけたら再訪すればよいと考えている。

それではロープウェーで岩国城へ向かいます。 ロープウェーの頂上は城山と呼ばれ、30人乗りのゴンドラで所要時間は約3分。 観光客で車内は満員だった。 しかし工夫して車内から景観を撮影しようと、カメラの機能をフルに使って撮影したのが錦帯橋の上空からの映像です。 (私の周りには背の高い人で錦帯橋は見えにくい!)

8枚の中から選んだ映像(逆光でした!)

逆光ながらお気に入りの映像を撮れて満足。 ここから岩国城に向かうが車道を通るか、昔の道を通るか考慮したが、妻の足腰の具合を考えて車道を歩いた。 それでも鬱蒼と茂った林の中をゆっくり歩いて最後は階段を上がり天守前の公園に到着。 順光で撮影にはもってこいの場所で三脚を広げて撮影準備。 他の観光客が途切れるまで待って記念撮影と城撮影します。

最後は階段を…

気が付くと照明等が邪魔!

…小公園に。

撮影位置をずらす


撮影後、時計回りに石段を登って岩国城入口に到着した。 本丸は四重六階の天守だったが、しかし完成から僅か7年後に1615年(元和元年)に幕府の一国一城令により本丸は取り壊された。 昔は横山城と云う名前だったが現在は岩国城と呼称が変わった。 本丸の附け櫓から入城。






本丸内は外観からも良く判るが、一、二階は結構広かった。 数多くの兜や鎧、刀剣、槍、銃などが展示されている。 そして当時の鯱や錦帯橋の木造模型が展示され見応えは十分です。









二階の階段を上がるとさらに刀剣が展示され、その上部には日本全国の有名なお城の写真が展示してある。 一コーナーごとに撮影してみた。 幾度も訪問したお城、まだ行ってないお城と、興味は膨らんだ! ちなみに福知山城、松前城、筑前大野城、大垣城、中津城、首里城、島原城、熊本城、岸和田城、和歌山城の写真は 歴訪したことが無く、興味深く拝見した。










二階のお城の写真で時間がかかり三階へ向かいます。 いつも間にか妻がいなくなった。 「おぅ〜い!、どこ行った?」 三階以上は広さは無い様に思うが…。

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