■ 小諸城址、懐古園に歴訪 三の門から本丸へ ■

小諸城は千曲川から切り立つ崖の上にあり、浅間山の火山灰台地が浸食してできた地形に囲まれた堅固な城です。 また小諸宿場町より低い台地に城郭が築かれた特徴ある穴城と呼ばれている。 戦国時代の遺構が残り、日本100名城に選ばれた。

明治期になり荒れた古城が懐古園として再生復活し、小諸市のシンボルとして、地元の地域活動の拠点として存在感が高い。  


■ 小諸城址、三の門から本丸へ ■
大手門から地下通路を通り三の門前に到着。 ライブ配信していた若者のグループは移動して観光客は疎らで暫く待機したら満足する映像を撮れた。

  三の門表正面


大手門、三の門は小諸城の貴重な建築物として国重要文化財です。 三の門は三間櫓門で寄棟造り、桟瓦葺、左右袖塀附属の櫓門で北側にくぐり戸があり、 2階は両側に袖塀を設け、矢狭間、鉄砲狭間が城郭の面影を残していた。 関ヶ原の戦い前後に仙石氏が城郭改修に建築されたが1742年(寛保2年)に城下を襲った大洪水で流失し明和の時代に再建された。

三の門内側

三の門から真っ直ぐ進むと受付があり入園の料金を支払う。 左手には小諸市児童遊園地、動物園があり家族連れも楽しむ事ができます。 受付から正面に枡形の石垣があるが、これは復元石垣です。 明治になり北国街道の道路整備で使われ、その後復元され周囲の景観に違和感なく感じられた。

左手は小諸市児童遊園地

右に曲がると二の丸門跡が…
正面は復元石垣

右手に二の丸跡

右に曲がると右手に二の丸跡が見えてくる。 石垣は野面積みで自然石や切り出した石を加工せずそのまま積み上げてあり、石が不揃いで目地に隙間が多い。 二の丸跡は関ヶ原の戦いの時期に徳川秀忠が上田城を攻略時に本陣とした場所です。 徳川方と真田方の戦いの情景が想像で浮かんでくる。

二の丸跡入口 東宮来所の碑

二の丸跡から先に進むと東宮来所の碑があり、その先に中仕切門跡がある。 その先左手に南丸跡の石段があり石段左手に大きな鴬石が確認できた。 南丸跡前から振り返ると正面に二の丸跡が見えるが、当時は中仕切門があり城内通路が見渡せるわけではない。 右手の北丸跡には全日本弓道連盟の支部がある。 前回訪問時、仕事でお世話になり訪問したが今回は射場を撮影して終わり。

中仕切門跡

南丸跡から振り返ると正面に二の丸跡が…

北丸跡の弓道の射場
南丸跡と石垣の鶯石

北丸跡の弓道場

全日本弓道連盟の支部

南丸跡、北丸跡の先に黒門橋が見えてきた。 その手前右手に懐古園稲荷神社が鎮座する。 創建は1702年(元禄15年)、越後から入府した牧野藩主が与板の地から勧請したのが始まりで歴代藩主に信仰された。 社殿は切妻、桟瓦葺の木造平屋建です。

この先に黒門橋が… 懐古園稲荷神社

黒門橋は紅葉の時期には多くの観光客が佇む場所だ。 黒門橋の両側にはモミジの樹が多く、真っ赤に色づいた紅葉は圧巻だ! 橋が架かる空濠は左右の谷の地形を繋ぐように人力で掘られた空濠です。 この橋の本丸側に黒門が設けられていた。

黒門橋…懐古園稲荷神社側

黒門橋下…北側の空濠

左手が本丸方向
黒門橋…本丸側に黒門があった

黒門橋下…南側の空濠

三の丸方向

初めて歴訪した時は黒門橋から本丸へ向かったが、本丸入口でライブ配信していた若者のグループが撮影していたので馬場、不明門に向かった。 本丸石垣に沿って井戸跡横を通り過ぎ右手に島崎藤村記念館がある。 左手には特徴ある本丸の石垣がありこの方角から撮影する。



島崎藤村記念館


かろうじて紅葉が…
その先に武器庫なる白塀の建物がある。 説明板によると武器庫は1817年(文化14年)に建築されたが、廃藩後に民間に移築され、当時の外観に似せて再建した。 紅葉がチラホラして秋が近づいているのを実感した。
武器庫
展望台のある不明門方向に向かうと島崎藤村の句碑があり、その先に千曲川が展望できる。 城郭の裏手は千曲川の断崖が落ち込んでいる。 そばに搦め手にあたり水の手不明御門跡がある。 展望台で何枚か撮影した。
島崎藤村の句碑

千曲川の流れ
不明門そばの展望台

展望台右手に切れ込んだ自然の断崖があり、ここを城郭の防壁として利用した景観を見れる。 現在は歩行橋が設けられているが深く切れ込んだ谷間は強固な防壁としている。

展望台から馬場跡を通り本丸石垣台に向かう。 石垣台には牛蒡積みという石積みの方法で胴長の石が使われている。 胴長石を適当な間隔で、野面みの工法で築き強度を高めている。

本丸に沿って撮影しながら三の丸の馬場跡を散策する。 植木職人の人が手入れをしているので邪魔しないように歩く。

天守台

牛蒡積みの特徴

天守台

三の丸と馬場跡は城内では一番広い場所です。 桜が植樹され春の時期は観光客だけでなく、地元の人々の憩いの場所になる。 本丸に沿って進むと足柄門があり、普段、家臣の登城に使われていた登り口がある。
本丸石垣

足柄門跡
本丸石垣

本丸城壁上から天守台方向
足柄門跡から本丸に入ると、本丸城壁上に登れる。 少し城壁上を歩いた。 本丸内には荒れ果てた小諸城址を懐古園とするため、1880年(明治13年)に懐古神社が創建された。

ライブ配信の若者のグループはいなく境内は数人の観光客だけになり静寂な雰囲気だ。 思い通りの映像が撮れて自分でも納得。 夫婦で神社に参拝して気持ちもスッキリする。 池には鯉が泳ぎ、噴水も綺麗だ。

本丸から黒門前に到着、資料板等撮影して、昔訪れた雰囲気と比べたり城址の思いに耽った。 天気が曇天で青空が見えないのが唯一の気残りだった。 駐車場前に機関車が展示してある。 何枚か撮影して時間を見ると11時10分!

目の前に美味しそうな蕎麦店があり、店内を確認したら席間が空いている。 それでも店前に人が並んでいる。 ソーシャルディスタンスを徹底した営業だ! これなら少しは安心できると、私達も順番に並び20分ほどで入店できた。




信州蕎麦の草笛小諸本店の店内はエプロンに三角巾姿のお婆ちゃん達が元気に働いている。 あれこれ考えず定食蕎麦を注文。 テーブル間に背の低いアクリル板がある。

定食は煮物の惣菜と茄子、ピーマン、かまぼこの天ぷら、さらにクルミとゴマのおはぎが付いている。 蕎麦は量が少し多い気がした。 また腰のある美味しい蕎麦でした。

そして食する前に撮影できた! いつも食してから撮影するのを忘れたと後悔することが多かったが、箸を持った私に写真は?と妻が声かけてくれた。

現在12時10分。 まだ時間は余裕あるので、道の駅雷電くるみの里に立ち寄り、お土産と地産野菜を買物。 妻は笑顔が絶えない。 トランク内を整理して、購入した物を最奥に押し込んだ。
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ナビに導かれて軽井沢市内に入りホテル音羽の森に到着! 軽井沢の式場には午後2時半に到着。 弟が来るまで駐車場で待機した。 やがて新郎新婦、我が家の親族も集まりホテルにチェックイン! 結婚式の写真集を作る為ホテルの撮影開始! 一段落して私達の式の準備もした。 夕方まで結婚式の手順の説明を受け、夕方には親族揃って食事会が始まった。 食事も美味しかったが祝杯前夜の酒宴は私一人。 弟たちは酒が飲めない!

ホテル音羽の森

ホテル正面玄関

両家顔合わせ館
挙式場

この時期はハローウィンの時期

挙式場内

姪の晴れ姿を見れ、涙管が緩んだ嬉しい一日だった。 そして記憶に残る映像も式場のカメラマンと一緒に撮影できた。 帰路は各自別々で、三男はもう一日軽井沢のペンション泊、 次男は高速道、私達は碓氷第三橋梁 (めがね橋)経由で碓氷峠の走行を楽しみ、松井田妙義ICから高速道で無事、自宅に帰路した。

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