■ 会津鶴ヶ城の歴史旅 ■

若松城は福島県会津若松市追手町にある城跡です。 別名は鶴ヶ城で、地元ではこの名で呼ばれることが多い。 また、同名の城が他にあるため、会津若松城とも呼ばれる。 さらに文献では黒川城や、会津城とされることもある。 現在の天守等は復元で、若松城跡として国の史跡に指定されている。
飯盛山から鶴ヶ城駐車場に約10分で到着。 最高の天候に恵まれ、歴史旅はルンルン気分に…。\(*^o^*)/


鶴ヶ城北口から北出丸に入り、濠端に沿って椿坂の大手門から入った。 帯郭に沿って西出丸の市営駐車場に駐車。 陽光を浴びて昨日までの天気が嘘のようだ! メンバー8人がバラバラで帯郭に向かう。

西中門跡へ向かう 西中門跡

私が目指すのは鉄門方向、他の人が本丸へ直接向かったので、慌てて「こっち、こっち」と声かけした。 絶好の記念撮影する場所が鉄門(表門)をくぐった所にあると説明。 その帯郭から本丸と石垣、鉄門を撮影して本丸へ向かった。

帯郭外側から…

鉄門(表門)へ…
鉄門(表門)前から…

鉄門(表門)をくぐり本丸内に入った。鉄門(表門)から南走長屋、干飯櫓へ続く帯郭、 そして広い芝生が陽光に照らされ生き生きしている。 振り返ると本丸と続く帯郭が眼前に現れた。 まさに圧巻の眺望です。 空は真っ青で良い映像が撮れる。
撮影ポイントには前回訪問時になかった場所が造られていた。 ここで記念撮影!登城印も付けた。

鉄門(表門)

記念撮影
南走長屋、干飯櫓

ズームで…


鶴ヶ城は梯郭式の平山城で、本丸帯郭を中心に西出丸、北出丸、二の丸、三の丸が周囲に配置されている。 会津城下町の南端に位置し、会津藩の政治の中心だった。 藩主の会津松平家は徳川将軍家と深いつながりがあり、幕末には戊辰戦争の激戦地になった。 現在の城跡は鶴ヶ丘公園となり国の史跡に指定。 三の丸跡は陸上競技場、市営プール、県立博物館がある。 天守閣は鉄筋コンクリートで外観復元され、郷土博物館になっている。 本丸御殿の復元計画はあるが予算が無いという。

本丸参観入口前から…

本丸城郭の基礎土台
天守閣

金箔瓦(複製)

鶴ヶ城の入口にきて幹事から登城するメンバーの希望を聞かれた。 足の悪い人もいて8名中4名が見学希望した。 幹事から参観券をもらい登城する。 地下1階から入城すると1階だけ撮影禁止と云われた。 地下一階は城址の土台部分の石垣を見学できた。 1階に上がると瓦の展示があり、その先は撮影禁止区域だ。 主に書籍や手紙などの本物がケース内に展示されていた。

黒瓦 赤瓦

2階から撮影再開、模造だが各武将の兜の展示コーナーがあった。 これらは歴代の城主の兜です。 そして会津松平家、松平容保の肖像写真や京都戦争の図が展示されている。

燕尾形兜(模造)

大黒頭巾鳥毛飾兜(模造)


会津松平家 松平容保の肖像写真
黒塗六十二間筋兜(模造)

黒塗六十二間筋兜(模造)

京都戦争の図

歴代藩主…葦名家、伊達家、蒲生家、上杉家、加藤家、保科松平家と続いた鶴ヶ城の城主と家紋の一覧。 そして幕末から明治へ転換期の会津の歴史表が展示されていた。 往路は混雑して撮影できなかったが帰路で撮影した。 鶴ヶ城の立体模型もガラスケース内だが照明の反射を抑えてうまく撮影できた。 そして天守に到着。

歴代藩主

鶴ヶ城の立体模型
幕末から明治へ転換期の会津の歴史表

茶室麟閣

鶴ヶ城は望楼型天守で、最上階は入母屋造りの屋根の下に回り縁がある形式です。 そこで回り縁から四方の撮影を開始、最初に下で待つ仲間をズーム最大で撮影したら手ぶれで失敗。アチャー!(@_@;)
次は茶室麟閣をズームで、ここは城の入場券で入園できるが、時間制約で見るだけ。 そして北方向から右回りで撮影した。 また飯盛山方向を探し、鉄塔が建ち、その後方に飯盛山が確認できた。

北方向

御三階跡、藩主御居間の庭跡
飯盛山方向

大広間跡

天守本丸から伸びる帯郭、鉄門、干飯櫓を撮影、上から見る鶴ヶ城の帯郭は大変珍しく大いに興味を持っている。 敵方からは攻めにくい城郭といえる。 天守回り縁を2周して撮影漏れが無いか確認、最後に天守内の階段口を入れて映像に残した。

本丸から伸びる帯郭、鉄門、干飯櫓

西中門跡の帯郭方面
帯郭方面

天守内

1階に下ると記念品売り場があり、見て回ると帯郭に続く見学ルートがあり向かった。
(これが私の失踪の原因になった。ごめんなさい!)
ここは帯郭、南走長屋、干飯櫓の見学ルートでした。 先に進むと、会津の日常の木綿着物と戦いの時の兵装着が展示され、兵装着は少年兵と一般兵の兵装着がある。 さらに進むと、当時の鉄砲や弓矢の道具が展示してある。

帯郭、南走長屋、干飯櫓へ 帯郭、南走長屋、干飯櫓方面へ

帯郭内
会津の木綿着物と兵装着

鉄砲と弓矢の兵装

部屋の区画があり、石垣の種類で野面積み、打ち込みハギ、差し込みハギの説明部屋。 飯盛山でただ一人、奇跡的に息を吹き返した飯沼定吉は白虎隊の悲劇を語りとして残した生涯ビデオが放送中の部屋。 次の間は部屋窓の静止映像があり、さらに蒲生氏クの看板があり、ここに自分の顔を入れて撮影した。 それにしても他の3人が来ない、天守最上階までは一番乗りで、皆が来る前に下りたが、まぁ〜そのうち追いつかれると思った。

帯郭内に石垣の説明

部屋窓の映像
帯郭内で飯沼定吉の生涯ビデオ放送中

蒲生氏クの看板に自分の顔を入れて撮影

次の部屋では「白虎隊の最後」の映像が映されていた。 音楽が流れ、説明を聞きながら映像を見てると大河ドラマのような感覚になる。 その先に兵士のマネキンがあり、銃を構える姿、火薬弾の製造の姿です。 そして干飯櫓へ階段を上る。

白虎隊の映像

南走長屋で銃を構える
干飯櫓

干飯櫓内で火薬弾の製造

干飯櫓では鶴ヶ城の春夏秋冬の映像が映され撮影。 鶴ヶ城の映像が多様に変化するが、その中で四季の映像だけだが、実際には宇宙を見るような変幻自在の映像の模様にうっとりするような感覚になる。

鶴ヶ城の春

鶴ヶ城の秋
鶴ヶ城の夏

鶴ヶ城の冬

干飯櫓を出て天守を撮影、少し歩いて正面から撮影、横矢がかり方向に向かって干飯櫓を撮影した。 それにしてもみんな遅いな〜!

横矢がかり方向

この位置が最良
干飯櫓前から

干飯櫓

横矢がかりで石段があり、下りて皆が遅いから芝生を遠回りして城の入口に向かった。 井戸跡、茶室麟閣前を通り、天守を見学しながら進んだ! 日射しが強くなり汗が出てきた。

横矢がかりから本丸へ…

井戸跡
そこから本丸と帯郭

茶室麟閣

遠回りして干飯櫓方向を確認したが仲間は見なかった。 ここには藩主の居間跡、表御座跡、藩主御居間の庭跡を見学し高石垣に向かい、ここから本丸の映像をゲットした。

藩主の居間跡、表御座跡から

高石垣から本丸を…
藩主御居間の庭跡

高石垣から本丸を…

高石垣の外側は二の丸が見える、さらに濠に架かる廊下橋も視認できた。 そして廊下橋まで向かい快晴下の廊下橋の映像を得た。 そして本丸入口に向かった。丁度良い時間だろう〜! そんな思いで向かうと…。

高石垣から廊下橋

廊下橋下の内濠
二の丸と繋がる廊下橋

廊下橋下の内濠

集合場所には誰もいなかった。あれ! どうしたのだろう?お土産店、休憩処を覗いてもいない!仕方なく駐車場に向かうと、仲間が「おお〜い!」と声かけしてきた。 理由を聞くと、後方にいた仲間は本丸1階の記念品売り場の横からすでに集合場所に戻っていたという。 私は干飯櫓の出口に注意をしていたが…、(@_@;)「ごめんなさい!ごめんなさい!」の言葉しか出なかった。

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